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福岡高等裁判所 昭和54年(う)608号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金一万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二千円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

被告人に対し、選挙権及び被選挙権を停止しない。

理由

控訴の趣意は、福岡地方検察庁柳川支部検察官検事髙塚英明名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は弁護人林健一郎外八名共同提出の答弁書及び答弁補充書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

所論は要するに、公職選挙法一三八条二項は同条一項ともども憲法二一条に違反しないと論じ、これを違憲無効とした原判決の判断につき、逐一反論を加えたうえ、原判決は公職選挙法一三八条二項の解釈を誤ってこれを違憲とし、被告人に無罪を言渡したものであるから、右法令の解釈適用の誤りが判決に影響を及ぼすこと明らかであり、破棄を免れないというのである。

我国の公職選挙法が選挙運動に種々の規制を加えていることについては賛否両論があり、中でも戸別訪問は、候補者にとって投票を獲得するために簡便で且つ有効な選挙運動の方法と考えられるところから、その自由化をめぐって議論が絶えることがない。しかも戸別訪問の禁止が、かように簡便有効な手段方法による意見表明の機会を失わせ、その限りでは憲法二一条の保障している言論の自由を間接的に制約する結果をもたらすことは否定できず、議会制民主政治における選挙の重要性、その選挙においては特に政治的な表現の自由が尊重されなければならないこと等を合わせて考えると、戸別訪問禁止規定を違憲と考える原判決の見解にも一理がないとは言えないであろう。しかしその反面、戸別訪問は、その機会に買収や利益誘導等の不正行為を誘発したり、投票が情実に流され易くなったりする心配があること、また戸別訪問を許すと各候補者とも競って選挙人を訪問することになるが、候補者にとってはその労力や費用が過重なものになるばかりでなく、訪問を受ける側にも相当大きな迷惑をかけることを考えなければならないことなど、戸別訪問にはいろんな弊害や懸念があることも否定できないと思われる。そして、選挙運動という各候補者間で投票獲得数の多寡が激しく競われる場においては、選挙の公正を確保するために、その時、所、方法等に関するルールを設けることが必要であり、候補者は右ルールに従って選挙運動をするのでなければならないものであること、もっとも如何にルールが必要であるからといっても、選挙にとって最も基本的且つ重要な政治的意見の表明そのものを抑止することが許されないことは言うまでもないが、そこまでいかない意見表明の手段方法に関するある程度の制約は、右に述べた選挙運動の特殊性に鑑み、それが合理的なものであると認められる限り、表現の自由を保障する憲法二一条には違反しないと解するのが相当である。すでに説いたとおり、戸別訪問には利点も多いかわりに諸弊害が伴うことを否定することも出来ないのであって、これを禁止することが妥当かどうか議論の余地があるとはいえ、その選択は立法府の裁量に委ねられた範囲内に属しているものと言うべく、その禁止に合理的な理由がないと言えず、未だ立法の裁量権の範囲を逸脱し憲法に違反すると判断すべきものとは考えられない(最高裁判所第二小法廷昭和五六年六月一五日判決、同第三小法廷同年七月二一日判決等参照。)。ところで公職選挙法一三八条二項は同条一項の戸別訪問禁止規定と趣旨を同じくし、その脱法行為として禁止されていることが明らかであるから、これまた合理的理由のある禁止規定と解されるのであって、同様の理由から憲法二一条に違反しないものと言わなければならない。

以上のとおり原判決は、憲法二一条の解釈を誤ったものであり、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れない。論旨は結局理由がある。

そこで、刑訴法三九七条一項、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に則り、さらに次のとおり自判する。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和四九年七月七日施行の参議院議員通常選挙に際し、福岡県地方区から立候補した高倉金一郎の選挙運動のため、同年六月二七日午後三時ころから午後六時ころまでの間、別紙一覧表記載のとおり、同選挙区の選挙人である福岡県柳川市〈番地省略〉金子スミ子方ほか一四戸を戸々に訪問し、同女らに対し、同日午後七時三〇分から柳川市民会館において右高倉候補の個人演説会及び同候補の応援に来た春日正一の応援演説会が開催されることを掲載した赤旗号外を配付しながら、「演説会があるから聞きにきて下さい」との旨告げ、もって戸別に演説会の開催を告知して戸別訪問をしたものである。

(証拠の標目)《省略》

なお、被告人・弁護人らは、原審において、本件公訴の提起は公訴権の濫用であるとか、被告人の本件行為は単なる赤旗号外の配付活動とそれに付随した挨拶行為にすぎないから、公職選挙法一三八条二項に該当せず、可罰的違法性など全くないなどと主張しているので、一言する。すでに認定したとおり、本件は、国政上最も重要な参議院議員通常選挙に際して、被告人が、自己と同じ政党に所属する特定候補者の個人演説会等が開催される当日の数時間前に、その開催を大々的に報じた赤旗号外を選挙人方一五戸に配付してまわり、その際右各戸の内部にまで入って行き各選挙人に向かって、演説会があることを告げ参加を呼びかけていたものであることは、証拠上疑いない。以上のような本件戸別訪問の態様、時期、回数、被告人と候補者との関係等に徴すれば、これが特定の候補者のための選挙運動に当り、公職選挙法一三八条二項にいう戸別に演説会の開催を告知する行為に該当することは言うまでもなく、また選挙においてルールを厳守することが大切なことを合せ考えると、本件は決して軽微とは言えず、可罰的違法性がないなどとは言えないこと明白である。従って、これを起訴した検察官に公訴権の濫用があるとは到底考えられない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は包括して昭和五〇年法律第六三号附則一三条により同法による改正前の公職選挙法二三九条三号、一三八条二項に該当するので、所定刑中罰金刑を選択し、所定金額の範囲内で被告人を罰金一万円に処し、被告人において右罰金を完納することができないときは、刑法一八条により金二千円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、原審及び当審における訴訟費用については、刑訴法一八一条一項本文を適用して全部これを被告人に負担させることにし、公職選挙法二五二条四項により同条一項の規定を適用しないこととする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 德松巖 裁判官 斎藤精一 桑原昭熙)

〈以下省略〉

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